品種改良:個人育種家の西川公一郎が提供する園芸新品種と南米遺伝資源に関連するサイト

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2008年5月15日

事務所から見える氷河

mo.cayambe.jpg 事務所から農場は3km程度しか離れていない。赤道直下なのに事務所の窓からはいつも氷河をかぶった山が見える。標高5800mのmontania cayambeだが事務所が3000m以上あるので特に高い山のようには見えない。 この氷河の影響もあり夜はよく冷える、昼間は強い日差しを受け温室の中は30度を簡単に超えてしまうが夜は温室の中でも8度程度まで下がることは珍しくない。この気温の変化が高品質な切り花生産にはかかせない。

2008年5月10日

ようやくvisa de profesionalが取得できた

1年かかりようやくエクアドルのvisa de profesionalが取得できた。移民ビザで制限がほとんど無く、市民権の象徴でもあるセデウラーが取得できる。
銀行口座を開いたり、クレジットカードを発行してもらったり、車を登録できたりと生活がしやすくなる。これで一安心してエクアドルで生活できる。

2008年5月 6日

今日車を見にイバラに行ってきた。

エクアドルは車が高い。新車でも2倍まではしないが、日本の1.5倍程度はする。中古は5倍以上の高さで驚く。

230万円で購入した車を15万キロ乗った後170万円で販売できるほど中古は高い。

私たちはスズキの小型ビッターラ(グランドビッターラ3ドア)を170万円で購入する事となった。中古で10万キロ乗った後で100万円以上するので修理代を考えるとどうしても新車が欲しくなる。トラックを含め今まで4台車を購入した経験があるが新車を購入するのは初めてになるがこれがエクアドル事情。

資材を購入しても運べず、トランスポートを頼むがトラブル続きで農場でどうしても必要となりやむなく購入する事となった。仕事以外では必要性を感じていないがやむを得ない。農場への投資を最低限に抑えるつもりで進めているが温室を1棟どうしても増設せざるおえず、灌水設備の入れ替えと合わせ投資が重なる結果となった。地元への心付けも意外と必要となり資金的には苦しい展開となってきたが何とか工夫して乗り越えたい。

2008年4月24日

エクアドルの車事情

ようやく、環境が整ってきたので車を買うことにした。
1600ccジープタイプ中古10万キロ10年で100万円と聞き驚いた。車は日本の2倍と聞かされていたが、中古は5倍程度するように感じられた。一転新車は147万円と割高感はあるが2倍という感じはしない。
新車を試乗させてくれるようにお願いしたところカヤンベにはないのでキトからもて来るとか。準備できたら電話くれるそうだ。
エクアドルは車が高いというのは中古のことを特にさしているように思える。私の仕事を手伝ってくれているコロンビア人農業技師は、ジープを整備して整備してそれでも整備して30年乗り続けている。止まっている車をよく見かけるけど、古く名手も簡単に捨てないのがこの国の良いところでもあり悪いところでもあるように思える。

2008年4月22日

娘の英語クラス

saika2.jpg 学校から郵便物が届き中を見てみると娘が書いた英語の手紙が入っていた。といっても手紙といえるような物ではなかったが、英語をスペイン語で学んでいるはずの娘から届いた手紙は本当に嬉しい。 前から感じていることがだ、「実学」と「経験」を前提にするエクアドルの教育は学ぶべきところがある。

2008年4月13日

娘の校外発表

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娘の校外発表があった。
市役所の前でマイクを持ってスペイン語で皆に話しかけている姿を見て驚いた。
発音もネイテブに非常に近い。子供の順応力はここまで高いのかと本当に驚いた。
とにかく、学校をおそれず続けてくれていることで親としては嬉しい。

英語のクラスが始まった

私たちが住むカヤンベには語学学校が無くスペイン語を学ぶことができない、悩んだ末英語の初級クラスをスペイン語で学ぶことにした。
今週から学び始めたが英語のレベルが思っていた以上に高く、実学的で自分たちが作成し販売している150ページの観光案本を英訳することから始まった。

娘が英語をスペイン語で学び解らないと家で嘆いていたことが思い出された。確かに私には難しい課題だが、おそれず少しずつ進めてい事にした。

2008年3月18日

娘の成長日記1

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エクアドルに来て40日が過ぎた、娘が学校に通い始めて4週間目に入った。通い始めて2週間目に猩紅熱にかかり1週間学校を休んだ、休んだ後学校に通い始めるのはかなりつらかったらしく行きたいないと悲しんだが、初日から帰ってきたら楽しかったと話嬉しかった。2週間目から水泳のクラスに通い始め3週目でクロールに息継ぎが何とかできるようになった。妻がプールに付き添っていたが、私の方が良いというので先週に引き続き次回から私が娘のプールに付き添う事になった。娘は私がいるときはスペイン語をほとんど話さないが一人の時はかなり話し始めている、また、会話をかなり理解し始めている。
娘のクラスは1学年落とし今6歳で誕生日が9月だが5歳6歳クラスに入れた。校長先生の薦めでそうした。最初は本当によいのかと疑問もあったが、今の娘を見ているとそれで良いと思える。今以上に複雑なクラスは娘には難しい。遊びの中で言葉を覚え習慣を覚えていくという校長先生の言葉が今では自信を持ってうなずける。

2008年2月25日

エクアドルに来て1ヶ月がたった

エクアドルに来て昨日で1ヶ月がたった。
アパートを借り、娘の学校が始まった。家具も一通りそろい何とか生活が始まったという感じだ。
カヤンベのセンターにアパートを借りたので便利だが自然は少ない。

農場の方もようやく本格的な播種がはじまり、播種したカレンジュラ1万粒程度が発芽し始めた。
来週から、アルテルランテラ、ナデシコ、デロスペルマの播種が本格的に始まる。
現地技術者1名、単純労働者1名、事務担当者1名に私を加えた4人を常時労働者として「FlorSAIKA co.,ltd.」は育種会社としてエクアドルで再スタートした。

事務所にファックスが入ったがまだインターネット回線が入らない。今月中にはと期待しているがもう少しかかるかもしれない。ファックス番号は593-(0)2-2364-298 (Ecuador)となった。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::
FlorSAIKA co.,ltd. , KOICHIRO NISHIKAWA(president)
Telf: 593-(0)8-9259-657(Ecuador),Fax: 593-(0)2-2364-298 (Ecuador)
Telf: 81-(0)50-5532-9147(Japan)
E-mail: info@florsaika.com,http://www.florsaika.com
Adress; Edificio Dr.marco Paredes 3r Piso, Vivar O e 2 - 02 Y Restauracion,
  Cayambe,ECUADOR
P.O229-0026,YOUKOUDAI5-5-6,SAGAMIHARA-SHI,KANAGAWA-PRI.
JAPAN

2008年1月 8日

2歳の娘

fuyuitigo.jpg

冬いちごをつまむ2歳の時の娘さいかの写真
今では6歳になってずいぶん大きくなったが、当時は走る姿も少し安定感にかけていた。
思えばこの頃から大きっめだった。6歳で24キロあるので見た目も大きめだが、背負うとずしりと重い。

2008年1月 7日

娘の学校

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今日、エクアドルの文化交流の事を研究されている方とお話しさせていただく機会をもてた。
娘の教育に過度の期待とプレッシャーをしないようにとアドバイスを受けた。
日本の義務教育になんとかついて行けるだけの基礎学力を何とかエクアドルで身につけたいと願う私は、過度の期待を娘にしていないかと考える良い機会となった。
自分は小学校の授業に興味が持てず全くついて行けなかった。見かねた先生方がテーマを半分に絞り、特別教室で生徒5人に先生1人の特別な授業をしてくれた。九九を覚えたのも中学校になってからだ、標準漢字は未だに書けない。でも何とか生きて行けているし人生を楽しいと感じている。植物との出会いから大学院での専門教育も受けることができたし、エクアドルで農業を起業することもできそうだ。
エクアドルは世界で最も絶滅危惧生物が多く2879種類もあるほどだ。まだ6歳の子供の言うことは解らないが環境と生き物が好きなようなのでこの環境そのものが彼女にとって最高の教育環境かもしれない

もっとゆっくりと進めてこう。

2008年1月 4日

娘の成長

saika-1.JPG saika-2.JPG saika-3-1.JPG 子供の成長は早い物だとつくずく感じる。 娘が2歳の時に屋上緑化の仕事を辞め、育種を本格的に始めたがもう6歳になった。4年間が過ぎた。あっという間の4年間であった、がむしゃらに取り組みようやく育種の基礎ができた現状にため息が出る。 育種とはそのように長い道のりの上にようやく自己表現できる地道な仕事なのだと理解できる。 後4年後には自己表現として私の個性を強く反映した品種を世界中で販売したい。

2007年10月31日

長野農場の紅葉

KOYO2.JPG KOYO1.JPG KOYO3.JPG 長野農場の周りはすっかり紅葉して今が見頃です。 季節のある日本、四季の変化は四季咲き品種を育成する上で、品種改良の障害でもありますが、美的感覚や文化を生んむ大切なものですね。

2007年10月16日

何のために品種改良をするのか

世界中の価値観の統一、世界マーケットの一体化。大企業が世界で競争をする世界。
良いという価値観を共有化できる60億人のマーケット。同じ価値観で世界中が評価する時代、良い品種を世界中で販売する。私が進めている戦略もこの世界マーケットでの多量販売だが考えさせられるときがある。
世界に1つしかない品種を1人のために作り出す。こんな価値観にあこがれてならない。

妻のYukiとの結婚10周年の記念日には、Yukiだけのために1つの品種を完成させたい。庭をこの花でいっぱいにしたい。花がいつも咲き続ける強さと優しさを持つすてきな品種に仕上げたい。

2007年10月 8日

今日は雨

今日は雨で少し暖かかった、と言っても日中も長袖に上にフリースを羽織り作業をしていた。
夏から秋を通り越えて冬になってしまった。夜は8度まで下がるようになり虫もほとんど鳴かなくなった。
冬は積雪150cm、-15度以下まで下がる高地本当の冬はこんな物ではないと聞くが、植物の生育が日に日に遅くなっていくのがよく解る。

<私の生い立ち>

<教育編>
私は極度に、落ち着きがない生徒として育ってきました。今では病名がつきそうです。
学校の先生もあきらめで一人外でブランコに乗っている事もよくありました。
学習障害児と言う事で、1学級5人の特別学級というクラスに幸い入れていただき良い先生にも巡り会ってきたのですが、授業をまともに受けれませんでした。おもしろいと思えなかったのです。
ただ、体育と理科だけおもしろいと思えました。特に変化が目で見える理科の実験はおもしろいと思いました。
また、自宅ではひたすら蝉を追いかけ、幼虫が土から出てきて飛び立つまで何時間もじっと観察し続けました。蝶の羽化もよく見ました。車にひかれた鳶を拾ってきて手術(羽を切除し癒合)し、かごで飼いました。毎日蛙を捕まえました。
飼っていた犬と一緒にキジのひよこを追いかけ山の中をかけずり回りました。彼らの生活が見えてきました。キノコや山栗を求めてよく山の中を歩きました。
リス・ウズラ・キジ・クジャク・インコ・イヌ・ウサギ・カモ・チャボまるで家は動物園のようでした。
そんな私に、両親は「好きなことをやれ、何か1つ得意な事があれば生きていける」と言い続けました。
生き物がそんなに好きなら詳しい人がいると、芦田先生という、40代前半の先生を家庭教師に向かい入れてくれました。
当時の私は、芦田先生が農学博士だとは知りませんでしたが、なんだか生物の事が詳しいおじさんが勉強を教えてくれると言う事で良くなついて指導を真剣に聞きました。
学校の授業など興味がありませんでした。芦田先生はまずかたづけることを教てくれました。次に整理する事を教えてくれました。
芦田先生は研究者であるのと同時に良い教育者でもありました。
私に消して無理をさせませんでした。私が九九を完全に覚えたのは中学校に入ってからです。

芦田先生については今でも忘れられないエピソードがあります。私がけして開けられなかった世界への扉を開いてくれたのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・

高校1年の時、先生の家で先生がオーストラリア人と無線で会話するのを毎日聞きに行きました。先生の影響で私は無線にも興味を持ち、講習ではなく試験で免許を取り無線機の一部を自分で組み立てました。気がつけば、電気抵抗や周波数と言った複雑な計算ができるようになっていました。
そんなある日、先生は、いきなり私をオーストラリアに連れて行きました。これは、私の人生を変えた大きな出来事となりました。最初の2日間シドニーで一緒に過ごした後突然別れることになりました。メルボルンとゴールドコーストの周遊チケットとホテルのチケットだけを手渡されました。初めて行った外国で私は唖然としました。多少無線から漏れてくる会話は聞いていましたが、もちろん英語はほとんど話せませでした。
必死になって、生活に最低限必要な言葉を書いたカルタを作りカタカナをふりました。
そして、相手に読んできかせました。
発音が悪くて全く通じない。空港で冷や汗、ホテルで冷や汗、食堂で冷や汗。必死になれば何とかなってしまう物なんです。でも治安の良いオーストラリアで本当に良かった。後で聞いた話ですが、先生は、実は友人の協力を得て私をマークしたり、ホテルに問い合わせをしたりして私の行動を把握していたらしいです。
その後、動物が多く壮大な自然が残るカナダへの夢がふくらみ英語を懸命に勉強しました。
気がつけば、学校の授業もある程度解るようになり生物、化学、数学、英語を得意分野と
し学年で5教科総合3位、成績優秀者として高校の廊下に張り出されるほどになっていました。このころ、学力が足りなければその分体力で補うしかない。そう考えた私は体を鍛え始めていました。往復50kmを自転車で通学しました。積雪の中、膝まで雪に埋もれながら朝4時に自転車を押して学校まで行く事もありました。体重は3ヶ月で10kg減りました。

能力がない者は体力と精神力で補うしかない・・・常に自分に言い聞かせました。・・

自転車のタイヤはすり減り3ヶ月ごとに交換しなければなりませんでした。芦田先生は生徒が増え多忙となったため、今度は同じく農業を研究されいた竹内先生が私の指導に当たりました。
将来農業か植物の事を学びたいと話す私の話を真剣に聞いてくれました。竹内先生は東京農業大学出身、ボデイービルデイング部OBだったのです。
竹内先生が私にした教育は学校の授業とは全く異なる物でした。 小学校の教材から始めました。 最初、高校生に小学校の勉強をさせる事に驚きました。
先生の教育方針は「スピードと集中力」3,000語を含む英語の単語帳を歌のように全て暗記してしまうまで猛スピードで途中で休むことなく何度も読ませました。覚えようとするな、体がかってに覚えるのを待て。本は読み出したら最後まで休まず1冊読み終えろ。
1日で小学校6年間の数学の教科書を全て読みました。次の日は社会、次は国語、そしてまた数学、・・少しずつ内容が変わっていき、終盤は高校の数学1・数学2・確立統計の教科書を1日で全て読みました。読んでいるうちに少しずつ理解できるようになっていま
した。
竹内先生は丁度その頃、岡山大学で農学博士を論文博士として請求している途中でした。
ほとんど寝ずに仕事と研究、論文作成を続けていました。仕事は家庭教師とスパーの総菜配達。
先生のエネルギーあふれる生き方に心引かれました。私も竹内先生のようになりたいと真剣に思いました。
そんなある日「こうちゃんはカツオ1匹料理をしろと言われたらどうする」と問いかけられました。料理できません。教わったことがありません。と答えました。
どんな事があっても大学に行きなさい。大学は初めて接する課題の解決方法を学ぶ所です。大学で学んだ者だったら、本を買ってきて骨の位置を確認する。包丁の入れ方を調べてそして料理の仕方も調べて自分でだれからも教わらなくても料理できる。
このやりとりは今でもよく覚えています。
私は大学とは本当にそういう所だと信じていました。そして大学で勉強して、さらに農学博士を取得したいと考えるようになりました。
竹内先生と同じ大学に入り大学院に進んだ後、実用化の方により興味を持ち現在に至っています。
生涯研究者であり続ける。この思いは今でも変わりません。そして生涯のテーマとしてデロスペルマの遺伝メカニズムの解析を進め。農学博士を取得したいと思い続けています。

芦田先生によって高校1年生の時に開けられた世界への関心は、私が32歳の時、全くスペイン語がしゃべれない状態エクアドルに単独で植物調査のために入国した時に大きな影響を与えました。
エクアドルではスペイン語のカルタを作りました。カタカナを振りました。やはり発音が悪くて全く通じない、数字が全く読めない。16歳のオーストラリアを思い出しました。必ず何とかなるこの自身はいったいどこから来ているのだろうか、不思議に思えるほど自身がありました。
35歳で2度目の植物調査を終えました。
来年36歳で家族でエクアドルに移り農業を行います。今まで多くの人の影響と協力を得て生きてきたのだと強く感じています。中でも、娘の笑顔は私に何事にも代え難い幸せでます。

2007年9月27日

すっかり秋になった。育種の本番です

夜は8度まで下がるようになりました。10日程度の間に急に5度以上下がりすっかり秋になりました。
今日から数日間雨とのことですが、選抜中の植物にもう少し育って欲しい所です。
カレンジュラとデロスペルマなので寒さには強いのですが、生育が遅れると開花が遅れ、稔性が落ちるので今が勝負です。夏の後急に冬になったようで、秋が本当に短かった。山の特徴ですね。
熱帯高地はこれがない、春しかない、夏も冬もない。育種に適した期間が永遠に続く。エクアドルで育種環境が整うのが待ち遠しい。

2007年9月 8日

娘とのハイキング

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先週5歳の娘と2人で2泊3日で上高地にハイキングに行ってきました。
あいにくの雨で景色は今一でしたが、なんとかがんばって歩いてくれて。初めてのテントへの宿泊にもかかわらず寝袋でゆっくりと眠ってくれました。

2007年8月11日

ダイビングのライセンス

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妻のゆきと娘のさいかと私の3人でダイビングに出かけてきました。
今回は伊豆でゆきのライセンス取得が主な目的でした。普段日焼け防止に工夫していたのですが今回のダイビングですっかり黒くなってしましました。少しショックのようですがライセンスが取得できすっかり楽しんでいました。
娘は5歳ですがシュノーケルをして魚を追いかけるほど水に親しむ事ができ、水中に潜っているのを見たときは驚きましたが子供は体で覚えるのだと関心しました。最後には水面まで3mある船着き場の防波堤から海に飛び込み、あきれるほど水に親しんでいました。
これだけ水に抵抗がないのに頭を洗うのを未だにいやがるのは不思議な物です。
来年、家族3人でエクアドルに移住し、家族経営でFlorSAIKAを立ち上げていきますが3人でガラパゴス諸島にダイビングに行くのが今の私の夢です。
3年前に2歳の娘をガラパゴス諸島に連れて行った時の事を本人は全く覚えていません。今度連れて行く時が彼女にとっては初めての記憶になるのだと楽しみにしています。

2007年7月17日

シーカヤック・新たな夢

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私が愛用しているシーカヤック「マリオン号」
冬の日本海で髪の毛を凍らせながら冷海でトレーニングをし、雪が積もった浜辺に上陸した。本格的に育種を始める前、真剣にシーカヤックのプロを目指していた頃が懐かしい。もう6年前だ、22歳の時カナダで初めてシーカヤックに出会い26歳で本格的にシーカヤックを始めた。29歳までがむしゃらにトレーニングした。タンデムを1人で漕ぐトレーニングや、大しけの中を漕ぐトレーニングをした。夜通し漕ぎ続ける事も珍しくなかった。毎日8キロの重りを持って10kmの山道を走った。
自営を機にシーカヤックから遠ざかり、育種を本格的に初め、ほとんど乗ることが無くなった。日本からアラスカ経由でカナダまでシーカヤックで行くという夢は実現できなかった夢に終わった。人生の一時期を共に過ごしたマリオン号は日本に置いていく。
エクアドルでは人生と家族を巻き込んだ、新たな夢が始まる。・・・・