品種改良:個人育種家の西川公一郎が提供する園芸新品種と南米遺伝資源に関連するサイト

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2007年10月31日

栽培地検査

アムステルダムに送った荷物が今日現地に届いた。しかし大きな問題があった。
カット苗は問題なく現地の検疫を通過した。しかし、無菌の培養で栽培したプラグ苗が問題となった。
日本での事前の栽培地検査と植物検疫の両方の証明書が必要だった。オランダはセンチュウに対して規制を大幅に強化したとのことだった。
現地で交渉を重ねているが、今回の荷物の中のプラグ苗をオランダに持ち込むのは難しいみたいだ。カット苗は問題なく持ち込めそうだ。現地のフォーワーダーは精一杯の交渉をしてくれている。
良い勉強になった。事前の栽培地検査はどうも簡単な手続きでできるみたいだ。早速、プラグの再送の準備を進めなければいけない。

長野農場の紅葉

KOYO2.JPG KOYO1.JPG KOYO3.JPG 長野農場の周りはすっかり紅葉して今が見頃です。 季節のある日本、四季の変化は四季咲き品種を育成する上で、品種改良の障害でもありますが、美的感覚や文化を生んむ大切なものですね。

2007年10月27日

ウイルス

ロサンゼルスに送ったカレンジュラのカット苗がウイルス検定に引っかかったらしい。
トライアル先からウイルスフリー作業を行いたいので承認が欲しいと申し入れがあった。
栄養系はウイルスフリー化過程が必要不可欠だと改めて感じさせられた。
明後日、アムステルダム向けにデロスペルマとアルテルランテラをトライアルとして送る。
ウイルス対策は何も行っていないので、同じ申し入れがあるかもしれない。
安易に栄養系のカットを提供するなどと考えてはいけない。
無病の流れが確保できない限りカット苗の外販はできない。
1人でできることは限られている。提携先と連携する方法を確保したい。

2007年10月20日

今夜は霜がおりるそうだ

今日急遽、育種温室に家庭用ストーブを3つ設置した。
11月20日に日本での育種は終了するので、あくまで一時しのぎのためだが温室内まで5度を割り込むようになり、種子採取ができなくなってはもともこもないので、温室を半分に仕切りどうしても種子が採取したい個体のみ加温することにした。なんとか10度まで加温できれば状況がだいぶ違ってくる。ロサンゼルスに送ったカット苗が栽培マニュアルと共に無事届いたと連絡を受けた。何とかトライアルをパスし次につなげたい。

2007年10月18日

夜温4度

急に冷えるようになり、ついに夜温4度になってしまいました。いつ霜が降りてもおかしくないとの事で
明日、加温の準備に入ります。長野の秋は本当に短い。寒くなりかけたら急に冬になってしまったようです。
ただら紅葉も綺麗なのでしょうね。

2007年10月16日

何のために品種改良をするのか

世界中の価値観の統一、世界マーケットの一体化。大企業が世界で競争をする世界。
良いという価値観を共有化できる60億人のマーケット。同じ価値観で世界中が評価する時代、良い品種を世界中で販売する。私が進めている戦略もこの世界マーケットでの多量販売だが考えさせられるときがある。
世界に1つしかない品種を1人のために作り出す。こんな価値観にあこがれてならない。

妻のYukiとの結婚10周年の記念日には、Yukiだけのために1つの品種を完成させたい。庭をこの花でいっぱいにしたい。花がいつも咲き続ける強さと優しさを持つすてきな品種に仕上げたい。

2007年10月15日

ロサンゼルスへの出荷

カレンジュラのトライアルのためにロサンゼルスにカット苗を出荷した。
トライアル用なので400本程度と少量でしたが、ミニマムが6kgでロサンゼルス空港までが約3万円かかった。高いのか安いのかもよく解らないが良い勉強になった。来週はアムステルダムに向けてデロスペルマとアルテルランテラのトライアル用カット苗の出荷がある。
エクアドルで生産される種苗は今度は逆の流れで日本に輸入される。双方向のデリバリーが必要になるが少しずつ勉強していくしかない。

2007年10月 8日

今日は雨

今日は雨で少し暖かかった、と言っても日中も長袖に上にフリースを羽織り作業をしていた。
夏から秋を通り越えて冬になってしまった。夜は8度まで下がるようになり虫もほとんど鳴かなくなった。
冬は積雪150cm、-15度以下まで下がる高地本当の冬はこんな物ではないと聞くが、植物の生育が日に日に遅くなっていくのがよく解る。

<私の生い立ち>

<教育編>
私は極度に、落ち着きがない生徒として育ってきました。今では病名がつきそうです。
学校の先生もあきらめで一人外でブランコに乗っている事もよくありました。
学習障害児と言う事で、1学級5人の特別学級というクラスに幸い入れていただき良い先生にも巡り会ってきたのですが、授業をまともに受けれませんでした。おもしろいと思えなかったのです。
ただ、体育と理科だけおもしろいと思えました。特に変化が目で見える理科の実験はおもしろいと思いました。
また、自宅ではひたすら蝉を追いかけ、幼虫が土から出てきて飛び立つまで何時間もじっと観察し続けました。蝶の羽化もよく見ました。車にひかれた鳶を拾ってきて手術(羽を切除し癒合)し、かごで飼いました。毎日蛙を捕まえました。
飼っていた犬と一緒にキジのひよこを追いかけ山の中をかけずり回りました。彼らの生活が見えてきました。キノコや山栗を求めてよく山の中を歩きました。
リス・ウズラ・キジ・クジャク・インコ・イヌ・ウサギ・カモ・チャボまるで家は動物園のようでした。
そんな私に、両親は「好きなことをやれ、何か1つ得意な事があれば生きていける」と言い続けました。
生き物がそんなに好きなら詳しい人がいると、芦田先生という、40代前半の先生を家庭教師に向かい入れてくれました。
当時の私は、芦田先生が農学博士だとは知りませんでしたが、なんだか生物の事が詳しいおじさんが勉強を教えてくれると言う事で良くなついて指導を真剣に聞きました。
学校の授業など興味がありませんでした。芦田先生はまずかたづけることを教てくれました。次に整理する事を教えてくれました。
芦田先生は研究者であるのと同時に良い教育者でもありました。
私に消して無理をさせませんでした。私が九九を完全に覚えたのは中学校に入ってからです。

芦田先生については今でも忘れられないエピソードがあります。私がけして開けられなかった世界への扉を開いてくれたのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・

高校1年の時、先生の家で先生がオーストラリア人と無線で会話するのを毎日聞きに行きました。先生の影響で私は無線にも興味を持ち、講習ではなく試験で免許を取り無線機の一部を自分で組み立てました。気がつけば、電気抵抗や周波数と言った複雑な計算ができるようになっていました。
そんなある日、先生は、いきなり私をオーストラリアに連れて行きました。これは、私の人生を変えた大きな出来事となりました。最初の2日間シドニーで一緒に過ごした後突然別れることになりました。メルボルンとゴールドコーストの周遊チケットとホテルのチケットだけを手渡されました。初めて行った外国で私は唖然としました。多少無線から漏れてくる会話は聞いていましたが、もちろん英語はほとんど話せませでした。
必死になって、生活に最低限必要な言葉を書いたカルタを作りカタカナをふりました。
そして、相手に読んできかせました。
発音が悪くて全く通じない。空港で冷や汗、ホテルで冷や汗、食堂で冷や汗。必死になれば何とかなってしまう物なんです。でも治安の良いオーストラリアで本当に良かった。後で聞いた話ですが、先生は、実は友人の協力を得て私をマークしたり、ホテルに問い合わせをしたりして私の行動を把握していたらしいです。
その後、動物が多く壮大な自然が残るカナダへの夢がふくらみ英語を懸命に勉強しました。
気がつけば、学校の授業もある程度解るようになり生物、化学、数学、英語を得意分野と
し学年で5教科総合3位、成績優秀者として高校の廊下に張り出されるほどになっていました。このころ、学力が足りなければその分体力で補うしかない。そう考えた私は体を鍛え始めていました。往復50kmを自転車で通学しました。積雪の中、膝まで雪に埋もれながら朝4時に自転車を押して学校まで行く事もありました。体重は3ヶ月で10kg減りました。

能力がない者は体力と精神力で補うしかない・・・常に自分に言い聞かせました。・・

自転車のタイヤはすり減り3ヶ月ごとに交換しなければなりませんでした。芦田先生は生徒が増え多忙となったため、今度は同じく農業を研究されいた竹内先生が私の指導に当たりました。
将来農業か植物の事を学びたいと話す私の話を真剣に聞いてくれました。竹内先生は東京農業大学出身、ボデイービルデイング部OBだったのです。
竹内先生が私にした教育は学校の授業とは全く異なる物でした。 小学校の教材から始めました。 最初、高校生に小学校の勉強をさせる事に驚きました。
先生の教育方針は「スピードと集中力」3,000語を含む英語の単語帳を歌のように全て暗記してしまうまで猛スピードで途中で休むことなく何度も読ませました。覚えようとするな、体がかってに覚えるのを待て。本は読み出したら最後まで休まず1冊読み終えろ。
1日で小学校6年間の数学の教科書を全て読みました。次の日は社会、次は国語、そしてまた数学、・・少しずつ内容が変わっていき、終盤は高校の数学1・数学2・確立統計の教科書を1日で全て読みました。読んでいるうちに少しずつ理解できるようになっていま
した。
竹内先生は丁度その頃、岡山大学で農学博士を論文博士として請求している途中でした。
ほとんど寝ずに仕事と研究、論文作成を続けていました。仕事は家庭教師とスパーの総菜配達。
先生のエネルギーあふれる生き方に心引かれました。私も竹内先生のようになりたいと真剣に思いました。
そんなある日「こうちゃんはカツオ1匹料理をしろと言われたらどうする」と問いかけられました。料理できません。教わったことがありません。と答えました。
どんな事があっても大学に行きなさい。大学は初めて接する課題の解決方法を学ぶ所です。大学で学んだ者だったら、本を買ってきて骨の位置を確認する。包丁の入れ方を調べてそして料理の仕方も調べて自分でだれからも教わらなくても料理できる。
このやりとりは今でもよく覚えています。
私は大学とは本当にそういう所だと信じていました。そして大学で勉強して、さらに農学博士を取得したいと考えるようになりました。
竹内先生と同じ大学に入り大学院に進んだ後、実用化の方により興味を持ち現在に至っています。
生涯研究者であり続ける。この思いは今でも変わりません。そして生涯のテーマとしてデロスペルマの遺伝メカニズムの解析を進め。農学博士を取得したいと思い続けています。

芦田先生によって高校1年生の時に開けられた世界への関心は、私が32歳の時、全くスペイン語がしゃべれない状態エクアドルに単独で植物調査のために入国した時に大きな影響を与えました。
エクアドルではスペイン語のカルタを作りました。カタカナを振りました。やはり発音が悪くて全く通じない、数字が全く読めない。16歳のオーストラリアを思い出しました。必ず何とかなるこの自身はいったいどこから来ているのだろうか、不思議に思えるほど自身がありました。
35歳で2度目の植物調査を終えました。
来年36歳で家族でエクアドルに移り農業を行います。今まで多くの人の影響と協力を得て生きてきたのだと強く感じています。中でも、娘の笑顔は私に何事にも代え難い幸せでます。

2007年9月27日

すっかり秋になった。育種の本番です

夜は8度まで下がるようになりました。10日程度の間に急に5度以上下がりすっかり秋になりました。
今日から数日間雨とのことですが、選抜中の植物にもう少し育って欲しい所です。
カレンジュラとデロスペルマなので寒さには強いのですが、生育が遅れると開花が遅れ、稔性が落ちるので今が勝負です。夏の後急に冬になったようで、秋が本当に短かった。山の特徴ですね。
熱帯高地はこれがない、春しかない、夏も冬もない。育種に適した期間が永遠に続く。エクアドルで育種環境が整うのが待ち遠しい。